いくつになっても怖い父親…

私の父親は、一昨年老衰で亡くなりました。

87歳でした。

父は大学へ行きたかったのですが、人の良い祖父は保証人になりまくり、1億円以上の負債を抱えていたので、

止む無く、家業の自転車屋・板金屋を継ぎました。

朝7時から深夜まで休みなく働いていたそうです。

そんな中、2歳年上の姉、そして私が生まれたので、『跡継ぎが出来た!!』と大変喜んでいたそうです。

しかし、ストレスも溜まりまくりだったことでしょう!!

小さい時から、殴られた記憶しかありません。

従業員も含め15人くらい居た大所帯の中だったので、日常的に殴られていたわけではないようですが、

幼少の時の記憶ですから、怖い記憶が残るのは仕方がない、と思いますし、小さい時に父親が笑った顔の記憶が

ありません。

父は、借金返済の為に、私が3歳くらいの時から、珠算塾も始めます。

なんせ、学校から帰ってきたら16時くらいから19時くらいまで、5歳から小学校6年生まで、

毎日ソロバンの練習です。

お陰様で小学校6年生までに全珠連4段を取得し、北海道北部の大会、特に読み上げ暗算では、7ケタまで計算

し、何度か優勝もしました。

その時の読み上げ暗算の読み手が父親でした。

独特の甲高い声で決勝に残った私を含めた生徒に読み上げ暗算をし、『願いましては…』から始まり、もの凄い

スピードで読み上げた後、『出来た人?』……沈黙があった後、小柄だった私が『はい、〇〇,〇〇〇,〇〇〇円

です。』『ご名答!!!』。

立場上、喜びを顔に出してはいけない父ですが、私には父の口元が“にやり”としたのがわかりました。

嬉しかったです。今でもそうですが、褒められて伸びるタイプなので、当時から褒められていたら、どんなに

伸びていたことでしょう! 笑

言葉にして『よく頑張った!!!』と言われた記憶はございませんが、今思うと、父の何とも言えない“にやり”

が欲しくて、ソロバンを頑張っていたような気がします。

話しは随分飛びますが、2歳年上の姉・4歳年下の妹と私の大学へ行かせる為の学費を稼ぐために、近隣の

7市町村に珠算塾を開設します。

父、母はその時、50~60代です。

一番遠い珠算教室は60㌔離れています。

大学生時代、私は帰省すると、この珠算塾のお手伝いと送迎を手伝っていました。

私が小さい頃には考えられないような優しい教え方です。

帰りの車中で私が父に聞きます。

『子供たちへの教え方、優しいね!』と…

父は『月々5,000円の月謝で、年間60,000円を納めてくれるんだから、子供の顔がお札に見える』

って。 笑

時代も変わってきているのでしょうが、私も優しく教えてほしかったな~!!!

最後に…

父が亡くなる何年か前に、姉から聞いた話しです。

地元を離れて、旭川の高校へ通っていた父は、夏休み・冬休みには、地元に帰ってきて、家業の手伝いをして

いました。

ある年の大晦日、祖母と父は、なかなか回収できない不良債権を回収するため、20㌔以上も離れた街に

更に冬道で凍結している道を徒歩で向かいます。

昭和20年代の話しです。

何件まわっても『こっちだって金なんかない!!!』と門前払いだそうです。

そこから、不良債権を回収できないまま、夕方、祖母と父は海沿いの20㌔離れた実家を目指します。

会話なんかないですよね…

そんな祖母と高校生だった父の二人を、普段は寒風ふきすさぶオホーツク海の風ですが、その時だけは

二人を優しく包み、夕陽が照らしてくれたんだろう!と願わずにはいられません。